笑点 - 履歴 | Wikipediaで「笑点」の情報を見る
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笑点

笑点は東京・文京区後楽園ホール
隔週土曜日に公開収録が行われている
(地方での収録のときもある)
ジャンル 演芸/バラエティ番組
放送時間 毎週日曜17:30 - 18:00(30分)
放送期間 1966年5月15日 -(2200回)
放送国 日本
制作局 日本テレビ
プロデューサー 鈴木雅人(CP)
出演者 桂歌丸(司会)
林家木久扇
三遊亭好楽
三遊亭小遊三
三遊亭楽太郎
春風亭昇太
林家たい平
山田隆夫(座布団運び)
音声 ステレオ放送解説放送
字幕 文字多重放送
オープニング 作曲:中村八大
外部リンク 笑点web

特記事項:
放送回数は2010年1月24日放送分現在。

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笑点』(しょうてん)とは1966年(昭和41年)5月15日より日本テレビで毎週日曜日夕方に放送されている寄席風の演芸バラエティ番組である。2006年(平成18年)に放送開始40周年を迎えた、日本を代表する長寿番組である。

目次

1966年(昭和41年)5月15日に『金曜夜席』を受け継ぐ形で放送がスタート。番組名の由来については2通りの証言がある。

放送開始当時はまだカラーテレビの普及率が1%にも満たない時代であったが、第1回から一貫してカラーで放送されている。

収録は後楽園ホールで隔週土曜日昼間に行われる(1回で2週分収録する)。また年に数回(基本的には4回)、ネット局の開局記念イベントなどで地方での収録が行われる(→#地方収録)。なお番組で放送されるのは、収録から8日後と15日後の日曜日となることが主である(年末進行や地方収録などのスケジュールの関係で貯め撮り収録し、それが翌日放送〜一ヶ月以上先になる事もある)。

現在では、日曜のお茶の間を代表する番組となっている。放送開始から40年以上経った現在でも基本的には15%以上、時には20%を超える視聴率(関東地区)を叩き出す怪物番組である。しかし大相撲中継が裏にある場合、視聴率は10%台前半まで落ちこむ場合もある。放送回数は2006年(平成18年)1月22日の放送で2000回に到達した。現在の日本テレビの番組では『NNNきょうの出来事』(2006年9月放送終了)、『キユーピー3分クッキング(NTVバージョン)』に次いで放送期間の長さで歴代第3位である。さらに2009年(平成21年)には『素人名人会』(毎日放送、テレビ版)の42年という、演芸番組として最長の放送期間を塗り替えた。

2005年(平成17年)11月23日には放送40周年を記念して5枚組の「笑点 大博覧会 DVD-BOX」が発売されたが、日本テレビのアーカイブに現存する『笑点』の番組本編映像は1973年(昭和48年)8月26日放送の大喜利が最古である。理由は放送局用VTRは1970年代まで2インチ規格で場所を取りテープも1巻当たりの単価が現在とは比べ物にならないほど高く、加えて著作権法の事情で番組の資料保存が安易に行えるものではなかったことなどから放送済みのビデオテープは消去されて使い回されることがほとんどだったためである。そのため、番組開始初期の映像はオープニング(『笑点音頭』が主題歌だったころのアニメーションフィルム)を除き現存していないという。

1980年(昭和55年)4月6日(第711回)からステレオ放送1986年(昭和61年)頃からは字幕放送[1]2009年(平成21年)10月4日(第2184回)からは解説放送を実施[1]

ハイビジョン制作はほかの番組よりかなり遅れていたが2010年(平成22年)1月1日の新春スペシャルで初めて全編ハイビジョン放送(アナログではレターボックス)となり同年1月3日(第2197回)からレギュラー放送もハイビジョン放送となった。

現在は、「演芸」と「大喜利」の二部構成である。なお放送開始当初は、演芸と大喜利の間に「談志とゲスト対談」のコーナーがあり、その後も「前武の何でも入門」、「伸介の何でもコーナー」、「円楽のよろずガイダンス」などのコーナーが存在し、長らく三部構成であった(たまに休止して演芸ゲスト2組の場合もあった)。また三波時代にはCMとCMの間に、当時「ちびっこ大喜利」に出演していたずうとるびの代表が、人形(声:丸山裕子)と小咄をやっていた。

1966年5月15日~1969年11月2日
  1. オープニング
  2. 演芸
  3. CM
  4. 談志とゲスト対談
  5. CM
  6. 大喜利
  7. CM
  8. エンディング
1969年11月9日~1970年6月14日
  1. オープニング
  2. 前武歳時記(前田のフリートーク)
  3. 演芸
  4. CM
  5. 前武の何でも入門
  6. CM
  7. 大喜利ナンバー・ワン
  8. CM
  9. エンディング
1970年6月21日~1970年12月13日
  1. オープニング
  2. 前武歳時記(前田のフリートーク)
  3. 演芸
  4. CM
  5. 前武の何でも入門
  6. CM
  7. 大喜利(2問)
  8. コスチューム大喜利(1問)
  9. CM
  10. エンディング
1970年12月20日~1982年12月5日
  1. オープニング
  2. 三波のフリートーク
  3. 演芸
  4. CM
  5. 伸介の何でもコーナー
  6. CM
  7. 大喜利
  8. CM
  9. エンディング
1983年1月9日~1983年10月9日
  1. オープニング
  2. 5代目圓楽のフリートーク
  3. 演芸(1組目)
  4. CM
  5. 演芸(2組目)
  6. CM
  7. 大喜利
  8. CM
  9. エンディング
1983年10月16日~1996年3月31日
  1. オープニング
  2. 5代目圓楽のフリートーク
  3. 演芸
  4. CM
  5. 円楽のよろずガイダンス
  6. CM
  7. 大喜利 ※この時期では、途中でCMが入るなど試行錯誤していたことがあった。
  8. CM
  9. エンディング
1996年4月7日~現在
  1. オープニング
  2. 演芸
  3. CM
  4. 大喜利
  5. エンディング

毎週日曜日の17:30 - 18:00(1996年4月 - 現在)

  • 以前の放送時間(いずれも毎週日曜日)
    • 16:30 - 17:10(1966年5月 - 1968年4月)※1967年9月の1ヵ月のみ17:00 - 17:40
    • 17:20 - 18:00(1968年5月 - 1996年3月)
  • 5代目圓楽時代の人気低迷を受けて1996年(平成8年)4月に番組が40分から30分に短縮されたという説がある。その一方で「40分」という枠組みが時代に合わないため日テレ側から1時間に拡大するか30分に短縮するかの打診を受け、大喜利を長くやるのは不可能と判断して短縮を選んだというエピソードもある[2]。また、当時関東ローカルで1つ前の番組で『笑点』で削られた10分間を内包して30分に「拡大」された『ぐるぐるナインティナイン』で変更直後の数回、『笑点』のオープニングに映る客席とシチュエーションを似せたセットに5代目圓楽を真似た矢部浩之と客として紛れ込む岡村隆史(いずれもお笑いコンビナインティナイン)が出るミニコント終わり際に「笑点ファンのみなさん、もう少しお待ち下さい」というテロップを流していた。
  • 時間短縮が行なわれるまでは、冒頭の司会者挨拶時にネット局のロール(『笑っていいとも!』と同様)が流れていた。
  • 2005年はプロ野球読売巨人軍主催試合がある日で、試合開始が17:00の場合テレビ中継が18:30に前倒しになるため、あわせて「笑点」の開始も17:00からの放送となった。その際、歌丸は大喜利の挨拶で、来週は5時からの放送となりますので、ご注意下さい。などとたびたび告知をしていた。
  • また年末年始以外の特番などによる休止はほとんどないが、ごくまれに休止となることがある。以下の例がある。
    • 16:30からの放送だった1968年4月までは、巨人戦の後楽園球場デーゲーム中継で休止となることがあった。
    • 1998年以前は、全国規模の選挙の投票日は投票締切の18時からの選挙特番に合わせて夕方のニュースを繰り上げて放送するため笑点が休止となることもあった。ただし、1998年以降は投票締切時間が20時となり、合わせて選挙特番も20時台からの放送となったため、影響はなくなった。ちなみに歌丸は選挙当日に放送された大喜利の冒頭で「今日は選挙の投票日です。投票をお済ませでない方は笑点を見終わったらすぐ投票所にお出かけ下さい」と挨拶したことがある。
    • 2005年以降、12月の第3日曜日はFIFAクラブワールドカップの3位決定戦を放送するため、放送を休止する。しかし開催地がアラブ首長国連邦になる2009年2010年は時差放送の為に本番組は5年ぶりに従来時間での放送となる予定。
    • 2008年6月8日は特別番組『Touch! eco 2008 明日のために…55の挑戦?スペシャル』を放送したため休止した。このため、後の歌丸の休演(腰の手術・療養に伴うもの)の回も先送りされ、当初予定から1週ずつスライドされることになった。
  • 毎年8月後半に行われる『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』では、チャリティー大喜利という特別バージョンで生放送を行う。かつては1題のみだったが、レギュラーと同じ3題になり、またその年のパーソナリティにお笑いコンビ・トリオが担当していたら大喜利前に漫才・コントも行なわれるようになり、ほぼレギュラーと同じ構成になっている。なお、遅れネット局では放送されないため、放送回数には含まれない。
  • 1990年ごろには、日本テレビほか一部地域で土曜10:30 - 11:10に関東ローカル扱いで再放送されていた。その後2002年も1クールではあったが、金曜10:30 - 11:00の枠で再放送されていた。2009年11月頃から西日本放送で10:25 - 10:55の枠[3]、及び中京テレビで日曜10:55 - 11:25の枠で再放送されている。
  • 2003年、2004年の新年最初の放送は、正月特番の編成の都合で18:00 - 18:55の1時間に拡大されて放送された[4]

◎は、前身番組『金曜夜席』に引き続いて出演している出演者。
△は、かつて演芸に出演した出演者。
〇は、かつて大喜利メンバーだった出演者。
☆は、かつて若手大喜利に出演していた出演者。

司会者名 色紋付 就任期間 就任回 備考
初代 立川談志 1968年 - 1969年冬場 1966年5月15日 -
1969年11月2日
第1回 - 第170回
2代目 前田武彦 1969年11月9日 -
1970年12月13日
1969年11月9日 -
1970年12月13日
第171回 - 第228回 司会就任前の1967年8月27日の「大喜利ゲスト大会」にメンバーとして出演していた。
北海道収録の回(放送日不明)は飛行機の欠航のためコーナー進行部分のみ後楽園ホールにて後撮り収録し、大喜利は演芸ゲストだったてんぷくトリオの三波伸介に託した。
3代目 三波伸介 1970年12月20日 -
1972年
□1972年秋 -
1982年12月26日
1970年12月20日 -
1982年12月26日
第229回 - 第850回 北海道収録の回(放送日不明)は大喜利の代理司会を担当。
1982年12月8日急逝したため1983年の正月特番は司会者・案内役不在で進行し、コーナー司会としてドレミファ大喜利を林家こん平、鶴亀大喜利を愛川欽也が臨時に担当した。
4代目 5代目三遊亭圓楽 1984年 -
2006年5月14日
1983年1月9日 -
2006年5月14日
第851回 - 第2016回 2005年10月23日(第1989回) - 2006年3月19日(第2008回)は療養のため休演。
5代目 桂歌丸 2006年5月21日 -
2007年7月27日
2007年9月9日 -
現在
2006年5月21日 -
現在
第2017回 - 現在 2008年6月29日(第2121回)・7月6日(第2122回)は療養のため休演。
現在の大喜利メンバー
メンバー名 色紋付 出演期間 出演回 備考
林家木久扇 1970年秋 -
1971年
1971年秋 -
現在
1969年11月9日 -
現在
第171回 - 現在 2007年9月16日(第2082回)までは林家木久蔵として出演。
2005年11月20日(第1993回)は大喜利の代理司会、2008年6月29日(第2121回) ・ 2008年7月6日(第2122回)は冒頭の案内役を担当。
三遊亭好楽 1979年9月9日 -
1980年11月2日
1980年11月2日 -
1983年10月9日
1988年4月3日 -
現在
1979年9月9日 -
1983年10月9日
1988年4月3日 -
現在
第682回 - 第888回
第1116回 - 現在
1983年3月27日までは林家九蔵として出演。
2005年11月13日(第1992回)は大喜利の代理司会を担当。
三遊亭小遊三 1983年10月16日 -
現在
1983年10月16日 -
現在
第889回 - 現在 レギュラー前の1982年10月17日(第840回)に演芸ゲストとして出演している。
2005年11月6日(第1991回)は大喜利の代理司会を担当。
三遊亭楽太郎 1977年8月28日 -
現在
1977年8月28日 -
現在
第578回 - 現在 2005年10月30日(第1990回)は大喜利の代理司会、2008年6月29日(第2121回) ・ 2008年7月6日(第2122回)は冒頭の案内役を担当。
春風亭昇太 2006年5月14日 -
現在
2006年5月21日 -
現在
第2017回 - 現在 2008年7月6日(第2122回)は大喜利の代理司会を担当。
林家たい平 2004年12月26日 -
現在
2006年5月21日 -
現在
第2017回 - 現在 2004年12月26日(第1948回)-2006年5月14日(第2016回)までは代理出演扱い。
2008年6月29日(第2121回)は大喜利の代理司会を担当。
過去の大喜利メンバー
メンバー名 色紋付 出演期間 出演回 備考
5代目三遊亭圓楽◎ 1968年 - 1969年冬場
1970年秋 -
1977年3月27日
1966年5月15日 -
1969年3月30日
1970年6月21日 -
1977年3月27日
第1回 - 第139回
第203回 - 第556回
桂歌丸◎ 1968年 - 1969年冬場
1970年秋 -
2006年5月14日
1966年5月15日 -
1969年3月30日
1969年11月9日 -
2006年5月14日
第1回 - 第139回
第171回 - 第2016回
2005年10月23日(第1989回) - 2006年3月19日(第2008回)は冒頭の案内役、2005年10月23日(第1989回)・11月27日(第1994回) - 2006年5月14日(第2016回)は大喜利の代理司会を担当。
柳亭小痴楽(後の春風亭梅橋)◎ 1968年 - 1969年冬場 1966年5月15日 -
1969年3月30日
第1回 - 第139回  
林家こん平 1968年 - 1969年冬場
1972年7月30日 -
2004年9月5日
1966年5月15日 -
1969年3月30日
1972年7月30日 -
2004年9月5日
第1回 - 第139回
第313回 - 第1932回
2004年9月12日(第1933回)以降は一時降板、休演中。
4代目三遊亭小圓遊 1968年 - 1969年冬場
1970年秋 -
1980年10月12日
1966年5月15日 -
1969年3月30日
1969年11月9日 -
1980年10月12日
第1回 - 第139回
第171回 - 第738回
1968年9月22日までは三遊亭金遊として出演。
1980年10月5日未明に急逝。
柳家かゑる(現:5代目鈴々舎馬風   1969年4月6日 -
1969年11月2日
第140回 - 第170回  
三升家勝二(現:8代目三升家小勝   1969年4月6日 -
1970年6月14日
第140回 - 第202回  
柳家さん吉   1969年4月6日 -
1970年6月14日
第140回 - 第202回  
三遊亭好生(後の春風亭一柳   1969年4月6日 -
1969年11月2日
第140回 - 第170回  
春風亭栄橋   1969年4月6日 -
1969年11月2日
第140回 - 第170回  
2代目三遊亭歌奴(現:3代目三遊亭圓歌   1969年11月9日 -
1970年6月14日
第171回 - 第202回 多忙のための休演回あり、その際には木久蔵(木久扇)作の歌奴似顔絵を掲げていた。
4代目三遊亭金馬   1969年11月9日 -
1970年6月14日
第171回 - 第202回 多忙のための休演回あり、その際には小きん(つば女)作の金馬似顔絵を掲げていた。
柳家小きん(後の6代目柳家つば女)☆ 1970年秋 -
1972年7月23日
1969年11月9日 -
1972年7月23日
第171回 - 第312回  
6代目三遊亭圓窓 1970年秋 -
1977年8月21日
1970年6月21日 -
1977年8月21日
第203回 - 第577回  
三笑亭夢之助 1977年8月28日 -
1979年9月2日
1977年8月28日 -
1979年9月2日
第578回 - 第681回  
7代目桂才賀 1980年11月2日 -
1988年3月27日
1980年11月2日 -
1988年3月27日
第741回 - 第1115回 1985年8月25日までは古今亭朝次として出演。
座布団運び名 色紋付 就任期間 就任回 備考
初代 三升家勝松(現:4代目桂文字助   1966年5月15日 -
1967年1月22日
第1回 - 第34回 前座であり裏方であった。
1967年1月29日以降、アシスタントへ。
2代目 毒蝮三太夫   1967年1月29日 -
1969年11月2日
第35回 - 第170回 1968年12月8日までは石井伊吉として出演。
3代目 三遊亭笑遊(現:5代目三遊亭圓遊
三笑亭夢丸
  1969年11月9日 -
1970年6月14日
第171回 - 第202回 北海道収録の回(放送日不明)は戸塚睦夫伊東四朗の補佐役に廻る。
4代目 小野千春
桂米助(ヨネスケ
  1970年6月21日 -
1971年7月11日
第203回 - 第258回 米助は補佐役の位置付けであった。
5代目 松崎真 1971年秋 -
1984年9月30日
1971年7月18日 -
1984年9月30日
第259回 - 第937回
6代目 山田隆夫 1984年10月7日 -
1985年
1985年秋 -
現在
1984年10月7日 -
現在
第938回 - 現在 1998年7月5日(第1622回) - 1998年7月26日(第1625回)は休演。

番組放送当初はオープニング曲は無かったが、1967年(昭和42年)1月29日より立川談志作詞宮崎尚志作曲による『笑点音頭』が出来上がり放送された。歌はすべての歌唱パートを談志が受け持ち、大喜利メンバー(5代目三遊亭圓楽桂歌丸春風亭梅橋4代目三遊亭小圓遊林家こん平)と座布団運びとして新加入した毒蝮三太夫がバックコーラスを担当している(アーティスト名は「立川談志&笑点グループ」)。放送当時の1967年にキングレコードからレコード発売された。のちに、企画盤のうちの一曲として複数のレコード会社からCD化されている。

1969年(昭和44年)11月に談志が司会を降板した後、新テーマ曲として『笑点のテーマ』が導入された。中村八大が作曲した「チャンチャカチャカチャカ、チャンチャン」というお馴染みのフレーズは現在では『笑点』の代名詞ともなっている。

また、導入当初は司会・前田武彦による歌詞があった。歌は前田と当時の大喜利メンバーが歌ったが、メンバーチェンジを期にインストゥルメンタルのバージョンとなり現在に至っている。歌丸曰く「あまりの下手さに不評を買った」[5]とのことで、歌つきの映像・音源は日テレにも現存していない。

1985年(昭和60年)3月31日まで使用されていた初期バージョンは、東海林修の編曲・指揮により、ジャズオーケストラ形式で録音されたが、効果音係が、効果音の一つとして使用していたクラクションの操作ミスによって、最後の部分に妙な音調で「パフ」という音を入れてしまった。ただし、好評だったのでそのまま採用され、後述の再録音の際にも再現されるなど、「笑点のテーマ」のシンボルとなった。また、提供社名を流す際の番組開始・終了用音楽は、前述の効果音による合いの手が入らないなどアレンジが微妙に異なり、曲の最後の部分でブラスの音が強調されていた。これらの音源は、後述のステレオ再録音の音源が採用されるまで使用され続けた。尚、当番組は1980年(昭和55年)4月6日放送分からステレオ放送となっているが、それから後述のステレオ再録音が使われるまでは、このモノラル音源を擬似ステレオ化した物が使われていた。

その後テーマ曲は、1985年(昭和60年)4月7日に別の演奏者によりステレオにて再録音されたものが放送される。その際、鳴り物や吹き物が変更され、アレンジも変化したが、全体的にはオリジナルの曲調を踏襲している。提供アナウンス時の音楽は、ジャズ調アレンジのテーマが流され、後に2006年(平成18年)5月14日放送(第2016回)の40周年記念スペシャルのエンディングや2009年(平成21年)1月1日放送の2009お正月スペシャルのエンディングでも流された。1998年(平成10年)4月5日からは若干変更になり、2代目のアレンジに加え、長さも40秒に短縮された。

2007年(平成19年)4月中旬ごろからは、大喜利メンバーがデザインしたTシャツ「福T」が抽選で当たるサントリービール発泡酒キャンペーンで使用されている(歌詞は、小林克也によるCMオリジナルのもの)。

ちなみに初期の東海林修の編曲・指揮によるモノラル音源のインストゥルメンタル・ヴァージョンは、ソニー・ミュージックエンタテインメントからのコンピレーション・アルバムCD「日曜夜のテレビは哀愁」CD番号:MHCL1185、2007年(平成19年)10月10日発売の第1曲目に収録されている。

タイトル文字は現在は寄席文字であるが、放送開始当初は『笑点』の文字を笑顔に見立てるアニメーションだった。オープニングアニメーションの似顔絵・演出は竹内大三(「任侠陣傘編」と「日本の昔話編」の似顔絵・演出は永沢詢)が担当。

地方収録やその年の最後に「三本締め」で幕締めするのが恒例中の恒例であったが、最近では前半で真打昇進披露を行う場合以外には行われなくなっている。

※次回の全面更新(もしくは差し替え)は、2010年初頭に予定されている楽太郎→6代目圓楽襲名時に行われるものと思われる。
※「笑点音頭」時代は、最後に「日本テレビ」と「現代センター」のクレジットが二段組みで出ていた(前者はロゴ、後者はゴシック体)。
※最後に「製作・著作 日本テレビ」と演芸文字で出るのと同時にNTVのマーク(1978年以降は社章であるメルカトル図表のロゴマーク)が長らく出ていたが、1992年7月の「なんだろう」登場以降は「なんだろう」に取って変わられるようになった(1993年12月までは、「なんだろう」の下に「40th」の文字があった)。2003年7月以降は日テレのCI導入に伴い、現行のロゴマークである「なんだろう」+「日テレ」のロゴが入るようになった(2008年から2009年3月までは開局55周年キャンペーンのため「日テレ55」ロゴ)。また、その直前には下記で紹介するテーマに沿ったものが画面手前からこちらに向かって飛んでくるのがならわしとなっている。

「大笑点」のオープニングについては「大笑点」を参照

現在は歌丸の「有り難うございました」の後、大喜利メンバーたちが高座に正座した状態で客席に向かって手を付いてお辞儀をしている様子を映したまま、『笑点のテーマ』をBGMに提供クレジットと次回の放送内容のテロップが出てそのまま番組終了となる。この間の大喜利メンバーたちはお辞儀をしたまま特に動きがないのが基本だが、時に最後に出たネタを引きずってそれに絡んだアクションをしたり、歌丸と大喜利メンバーたちのやり取りが見られることもある。また、楽太郎とたい平は2人でじゃれ合うことが多く、時に山田も巻き込んでのアクションになることもある。また、3問目でかつらをかぶる問題があった場合は、頭が蒸れるのか、かつらを脱いだ歌丸が自分の頭を扇子で扇ぐしぐさが見られることがある。さらに、11月から12月にかけては番組の公式カレンダーである「笑点暦」の宣伝をエンディングで行うが、番組のオフィシャル本などカレンダー以外の番組関連グッズの宣伝をエンディングで行うこともある。

歌丸の締めの挨拶は「どうやらお時間が来たようです。また来週お目にかかりましょう(「お会いしましょう」と言うこともある)。どうも有り難うございました」が基本だが、直前に座布団没収になるようなネタが繰り出された場合はそのネタについてのフォローを入れながら締めの挨拶に移っていくことが多い。この場合、挨拶の文面も変わることがある。前任司会者の5代目圓楽は「笑点、このへんでお開き。また来週のお楽しみ。有り難うございました」が定番の締めの挨拶になっていた。

40分番組だった頃は司会者の挨拶の後大喜利メンバーたちがお辞儀をする姿を一瞬映し、さらに拍手を送る客席の様子を映してからCMに入り(30分番組になってからも客席を映すエンディングはしばらく続けられている。現在でも地方収録時にしばしば見られる)、CM明けに提供クレジットと次回の放送内容が出たあと、オープニングタイトルの左下に寄席文字で「終」の文字が入ったタイトルが出て番組終了となっていた。次回の放送内容の紹介はテロップではなく、収録後の高座の様子を写したスチール写真に寄席文字で書いたパネルで紹介するスタイルが長く続いていた。30分番組に移行する直前には提供クレジットが出た後、番組の最後にテロップで次週の放送内容を紹介するという形になっていた。ちなみに年末の「笑点暦」の宣伝は大喜利終了後のCMに入る前に行っていた。

1997年(平成9年)6月8日放送の富山収録の回ではエンディングで普段は放送されない三本締めの様子(地方収録の終了後には必ず行われている)が放送されている。また、2009年(平成21年)11月1日放送の青森収録の回ではこれも普段は放送されない収録の最後に行われる出演者全員が揃っての挨拶のシーンがエンディングで放送されている。なお、このエンディングでは元大喜利メンバー・司会者であった5代目圓楽の訃報を流すためにBGMも「笑点のテーマ」とは異なる曲を使用している。

番組の前半に行われる。5代目圓楽司会時は「今日の笑点、端(はな、始めという意味。「華」を掛けている)は…」と紹介していたが、三波・歌丸は「今日の演芸をご紹介しましょう」と言い、ゲストを紹介する。登場するゲストは毎回1組が基本であるが、ピン芸人の短いネタの場合、2組が出るケースもある(40分番組だった時代は10分コーナーがあった)。

コーナー終了後には「引き続き大喜利をお楽しみください」のテロップが登場し、CMに入る(一時期、CMを挟まずそのまま大喜利に入り、大喜利の1問目と2問目の間にCMを挟むという時期もあった)。

  • 芸歴の長いベテランから注目の若手まで幅広く、ジャンルも落語漫才漫談コントマジック物真似など多岐にわたっている。
  • 星セント・ルイスツービートなど後の漫才ブームでブレイクした漫才師たちも早い時期から演芸に出演していた。特にセント・ルイスは1970年代半ばごろに収録の間の時間つなぎをする「マエラク」を担当していた縁もあり、1977年(昭和52年)のNHK漫才コンクールでセント・ルイスが優勝すると直後4ヶ月の間に演芸に3回出演させ番組ぐるみでブレイクを後押しした。
  • その一方、実際に漫才ブームが訪れた1980年前後にはブームの中心となった漫才師たちがほとんど出演しなかった。これは「笑点」から出た「ずうとるび」を通じてブームそのもののはかなさと怖さを知ったという当時のプロデューサーが「ブームに便乗するとブームが去った時に番組も終わる」と判断し、漫才ブームから距離を置く姿勢を取ったためである。ただし、漫才ブームが沈静化した後はセント・ルイスやおぼん・こぼん西川のりお・上方よしおオール阪神・巨人今いくよ・くるよなどブームの中心を担った漫才師も演芸に出演している。
  • 5代目圓楽の司会当時は、毎年新年1回目の演芸で5代目圓楽の落語が披露されるのが恒例となっていた。また、一時期地方収録の際にはほぼ毎回大喜利メンバーが交替で落語を演じていた。近年は落語そのものの登場回数が減少したこともあり、歌丸の司会就任後は2007年(平成19年)4月の熊本公録で昇太が演じたのみである。ちなみ現笑点メンバーでは歌丸・小遊三・楽太郎は演芸の出演回数が20回を超えており(落語家では他に4代目桂米丸・5代目圓楽・8代目橘家圓蔵が20回以上出演している)、木久扇、好楽も20回近く出演しているが、たい平はまだ演芸で落語を演じたことがない。
    • CSで放送されている『笑点Jr.』では、毎回落語を披露するコーナーが放送されており、笑点メンバーも不定期で出演している。
  • コラボレーション演芸では、木久扇+カンカラBOOMER+プリンプリンなど、異色あわせの芸も披露している。
  • 2006年(平成18年)1月22日の第2000回放送と、同年5月14日の「40周年スペシャル」では、演芸最多出演者として、マジックのナポレオンズが紹介され、出演した。なお、ナポレオンズの出演回数は2008年までで47回を数える。
  • 2006年1月29日の放送では、桂歌丸のオープニング(通常は「こんにちは。笑点の時間がまいりました」と発言)無しでそのまま同年1月16日に死去した漫談師・ローカル岡を偲んでと題し、2005年(平成17年)12月に収録済みであった彼の漫談が流された。
  • 2009年(平成21年)の正月スペシャルでは、綾小路きみまろ大木こだま・ひびきナポレオンズが出演、さらにコロッケが、噺家以外で初めての“物真似落語”を披露した。
真打昇進・襲名披露口上
  • 寄席の定席での襲名披露で普通行わない、真打になった本人の挨拶があるのが特徴。本来襲名披露口上では本人による挨拶は行われないため、進行者がその旨を述べてから本人挨拶を行う。
  • 本人挨拶が行われるようになった背景には、時間短縮がある。1996年(平成8年)4月、それまでの17:20〜18:00から、17:30〜18:00に、10分短縮された。寄席どおりにやってしまうと、大喜利の時間が取れなくなってしまうため、一席に替えて本人挨拶が登場した。だが、現在では、各協会の側も、まず笑点で顔と名前と声を一つでも覚えてもらい、寄席で芸を見てもらいたいという姿勢で臨むようになっており、全国へのお披露目の場として積極的に活用している。
  • 通常は、各協会・一門に関係する大喜利メンバーが進行役や挨拶で登場する。しかし、9代目林家正蔵襲名披露では、こん平が多発性硬化症で療養中だったため、代理として5代目圓楽が高座に上がった。また、大喜利レギュラーとなった後で真打になった者のうち楽太郎・好楽(昇進時は林家九蔵)・才賀の真打昇進披露の際にはその時点で真打に昇進していた大喜利メンバーが全員高座に上がった。特に才賀の時は当時の大喜利メンバー全員に加えて5代目圓楽、さらに座布団運びの山田も高座に上がっている。(この時、才賀の師匠の3代目古今亭志ん朝は高座に上がっていない)
笑点の穴
その他
  • 1998年(平成10年)7月は山田が4週にわたって番組を休んだため[6]、その間は演芸を休止して若手落語家が出演し「大喜利下克上」を行った(後述参考)。ちなみに、この間はオープニングアニメーションがなく、1本目のCM明けに5代目圓楽の挨拶で始まり、スタッフクレジットはエンディングで表示された。
  • 2007年(平成19年)2月4日の放送では、当時林家きくおの2代目木久蔵襲名後の自分の名前を募集していた林家木久蔵の新しい名前の中間発表が行われた。結果、林家木久扇に決定した。
  • その時点までの公募された名前の中で、多かったものや笑点メンバーが選んだ物を紹介した(楽太郎は歌丸の本名「椎名 巌」を出していた)。
  • 結果は4月28日の収録で発表され、終了後本人が会見を開き公表した。その模様は5月6日に放送。9月23日の放送から「林家木久扇」の名で出演している。
  • 2009年11月8日では、「さよなら圓楽笑点お別れ会」として、現在のメンバーと、こん平が5代目圓楽の秘蔵映像とトークが行った。

大喜利 (笑点)」を参照

番組の後半に行われる。

談志がゲストと対談するコーナー。ゲストとの掛合いが半ば即興漫才となっていた。

その道のプロを呼んで挑戦するというコーナー。後に座布団運びを担当する小野千春は、このコーナーのアシスタントを担当していた。

ゲストを呼んでの対談やその道のプロを呼んで挑戦するというコーナー。

落語に関することを中心とした雑学を5代目圓楽が披露するコーナー。

詳細は「大喜利 (笑点)#出演メンバーのキャラクター」を参照

笑点メンバーには、それぞれキャラクターがあり、特に木久扇の馬鹿与太郎キャラ、楽太郎の腹黒キャラは、メンバーのキャラクターの代表格である。

1970年まであった「人形町末廣」を参考に、「昔ながらの寄席の高座をスタジオに再現したい」というコンセプトでデザインされている。部分的な手直しは何度か行われたが、「金曜夜席」の放送開始時から基本的なところは変わっていない。

最近では2002年(平成14年)に手直しされ、柱や欄間など木目の露出している部分がそれまでのダークブラウンからライトブラウンの色目に変わり、舞台全体が明るい印象になっている。

舞台奥のは4枚あり、後楽園ホールでの収録時と地方収録時では絵柄が異なる。

  • 後楽園ホールでは、絵柄が表裏で異なる回転式の襖が使用されており、演芸と大喜利で襖の絵柄が変わる。演芸では主張の強い大胆な襖絵になり(現在の絵柄は2009年3月22日放送分から使用)、大喜利では、カメラでメンバーを映す時に邪魔にならないような青を主体とした柄が採用されている(当初は1年〜2年で手直しされていたが、5代目圓楽時代から、長期間使用されるようになり、現在の柄は2001年から使用)。
  • 地方収録時はその地方の特産品や名所を描いた襖絵となり、演芸コーナーも大喜利も同じ絵柄となる。4枚それぞれに異なる絵が描かれることもあれば、4枚で続き絵になることもある。

舞台の上の提灯には当初、大喜利メンバーの定紋を入れていたが1969年(昭和44年)から現在のように名前を書くようになった。(ただし、その後も特番の時などに紋の入った提灯が下げられたことがある)赤地に白文字の提灯は放送当初から変わっていない。なお、名前の表記は司会者と大喜利メンバーは下の名前のみ(前田は「前武」)、座布団運びはフルネーム(毒蝮は上の名前のみ)となっている。また、代理出演者は提灯に名前がないケースもある。

なお、出演者や裏方たちは原則として上手から入退場するので下手側は通常襖で閉められているが、対抗戦形式の大喜利が行われる時などは下手側の襖も開いて下手から入退場するケースもある。この下手側の襖は元々大喜利メンバーの後ろにある襖と同じ色のものを使っていたが、2002年のリニューアルの際に白地に緑の「笑」の文字が入った襖に変わっている(スペシャル版では、微妙な手直しが施されているが、それ以前から使われている)。

舞台上は土足厳禁となっている。

初の地方収録は大阪府寝屋川市で行われた(放送日不詳、収録日は1967年(昭和42年)7月15日。他、談志司会の頃には山形県天童市などにも行っている)。

また、神奈川県伊勢原市での地方収録の放送時(1973年(昭和48年)10月21日)に当番組の歴代最高視聴率40.5%をマークしている。地方公開収録は、日本テレビの系列局の開局○周年記念として行われる事が多い。

かつて、地方収録第1週目の客席からのオープニングでは、司会者の隣に系列局の女性アナウンサーが座り、当地の名所や名産物を紹介していた。

2002年(平成14年)以降の地方収録は以下の通り。

放送年月日 会場 理由
2002年(平成14年) 3月24日3月31日 山梨県山梨県立県民文化ホール 山梨放送50周年記念
6月30日7月7日 福井県・鯖江市文化センター 福井放送開局50周年記念
9月29日10月6日 広島県はつかいち文化ホール 広島テレビ放送開局40周年記念
12月8日12月15日 熊本県熊本県立劇場コンサートホール 熊本県民テレビ開局20周年記念
2003年(平成15年) 3月9日3月16日 徳島県徳島市文化センター 四国放送開局50周年記念
4月27日5月4日 秋田県秋田県民会館 秋田放送開局50周年記念
6月8日6月15日 神奈川県横浜にぎわい座 日本テレビ放送網開局50周年記念
7月6日7月13日 山形県山形県県民会館 山形放送開局50周年記念
10月26日11月2日 鳥取県・鳥取県倉吉未来中心 日本海テレビジョン放送開局45周年記念
2004年(平成16年) 3月14日3月21日 高知県・高知県民文化ホール 高知放送開局50周年記念
5月23日5月30日 鹿児島県鹿児島市民文化ホール 鹿児島讀賣テレビ開局10周年記念
9月26日10月3日 静岡県・静岡市民文化会館 静岡第一テレビ開局25周年記念
12月5日12月12日 岩手県・北上市さくらホール テレビ岩手開局35周年記念
2005年(平成17年) 3月6日3月13日 福岡県福岡市民会館 福岡放送開局35周年記念
5月29日6月5日 石川県金沢市観光会館 テレビ金沢開局15周年記念
9月11日9月18日 宮城県仙台サンプラザホール 宮城テレビ放送開局35周年記念
12月4日12月11日 長野県長野県県民文化会館 テレビ信州開局25周年記念
2006年(平成18年) 4月30日5月7日 山口県周南市文化会館 山口放送開局50周年記念
10月8日10月15日 新潟県長岡市立劇場 テレビ新潟放送網開局25周年記念
長岡市制100周年記念
2007年(平成19年) 4月1日4月8日 熊本県・熊本県立劇場演劇ホール 熊本県民テレビ開局25周年記念
熊本城築城400周年記念
7月8日7月15日 富山県富山県民会館大ホール 北日本放送開局55周年記念
9月9日9月16日 福井県・福井市文化会館 福井放送開局55周年記念
2008年(平成20年) 3月30日4月6日 広島県・はつかいち文化ホール 広島テレビ放送開局45周年記念
7月13日7月20日 島根県・出雲市民会館 日本海テレビジョン放送開局50周年記念
10月26日11月2日 愛媛県松山市民会館 南海放送開局55周年記念
2009年(平成21年) 3月8日3月15日 鹿児島県・鹿児島市民文化ホール 鹿児島讀賣テレビ開局15周年記念
5月17日5月24日 岩手県・岩手県民会館 テレビ岩手開局40周年記念
8月9日8月16日 山梨県・山梨県民文化ホール 山梨放送開局55周年記念
10月25日11月1日 青森県青森市文化会館 青森放送開局55周年記念

なお、地方収録の回数が一番多いのは福島県で8回 、次いで北海道静岡県山口県福岡県が各7回ずつである。逆に、千葉県茨城県三重県滋賀県奈良県和歌山県佐賀県宮崎県では1度も行われていない。(いずれも2010年1月時点)

初の地方収録を大阪で行ったのは関西地区での視聴率対策のためと言われるが、現在は地方収録を行っている番組自体が非常に少なく人気番組であることもあり、ネット局からの収録の依頼が殺到している状態である。そのため激しい誘致競争に勝ち抜くために上記の通り各ネット局の開局記念行事として行われることがほとんどである。

なお、2000年代あたりには関西地区での収録は行われておらず、「笑点」のオフィシャルサイトにも「関西での収録予定はないのか」という質問が紹介されており、それに対する答えが「前提として要請のあった系列局に伺うことになっております」となっていることから暗にNNNの関西広域ネット局の読売テレビ放送が積極的に公録の誘致を行っていないことを匂わせている。また、歌丸の著書では大阪府寝屋川市で公録を行った際に読売テレビ側がきちんとした対応をとらなかったということで局と出演者たちの間で対立が起きたというエピソードが紹介されている[7]

過去に大喜利での座布団10枚獲得などによる、海外での収録は幾度か行われているが、うち大喜利そのものの海外収録は過去3度行われている。

放送年月日 公演名(収録地) 理由
1978年(昭和53年) 4月30日5月7日 笑点亜米利加寄席(サンフランシスコ 日本テレビ放送網開局25周年記念
1980年(昭和55年) 10月5日10月12日 笑点ハワイ公演(ハワイ州 番組15周年記念
1997年(平成9年) 4月20日 笑点in香港(香港 番組30周年記念

ハワイ公演は大喜利レギュラーだった4代目三遊亭小圓遊の最後の出演となった(ハワイ公演の1回目の放送があった日の未明に急死)。また、香港ロケの模様は90分の特別版で放送された。

このほか、1991年(平成3年)の番組25周年の時にはパリでの収録が予定されていたが湾岸戦争の影響を理由に中止されている[8]

2009年10月時点で放送されていない都道府県は、日本テレビ系列局が無い沖縄県のみとなっている。

笑点ネット局
放送対象地域 放送局 系列 放送時間 遅れ 開始時期
関東広域圏 日本テレビ放送網(NTV)
(制作局)
日本テレビ系列[9] 日曜 17:30〜18:00 同時ネット 放送開始〜
北海道 札幌テレビ放送(STV) 放送開始〜
青森県 青森放送(RAB)[10] 放送開始〜
岩手県 テレビ岩手(TVI) 1969年(昭和44年)12月
宮城県 宮城テレビ放送(MMT) 1970年(昭和45年)10月[11]
秋田県 秋田放送(ABS) 放送開始〜
山形県 山形放送(YBC)[10] 放送開始〜
福島県 福島中央テレビ(FCT) 1971年10月
山梨県 山梨放送(YBS) 放送開始〜
新潟県 テレビ新潟(TeNY) 1981年(昭和56年)3月29日[12]
長野県 テレビ信州(TSB) 1991年(平成3年)4月
静岡県 静岡第一テレビ(SDT) 1979年(昭和54年)7月
富山県 北日本放送(KNB) 放送開始〜
石川県 テレビ金沢(KTK) 1990年(平成2年)4月
福井県 福井放送(FBC)[13] 放送開始〜
中京広域圏 中京テレビ放送(CTV)[14] 1973年(昭和48年)4月
近畿広域圏 讀賣テレビ放送(ytv) 放送開始〜
鳥取県島根県[15] 日本海テレビジョン放送(NKT) 1972年(昭和47年)10月
広島県 広島テレビ放送(HTV) 放送開始〜
山口県 山口放送(KRY)[10] 放送開始〜
徳島県 四国放送(JRT)[16] 1988年[17]
香川県岡山県[18] 西日本放送(RNC) 放送開始〜
愛媛県 南海放送(RNB) 放送開始〜
高知県 高知放送(RKC) 放送開始〜
福岡県[19] 福岡放送(FBS) 1969年(昭和44年)4月
長崎県 長崎国際テレビ(NIB) 1991年(平成3年)4月
熊本県 熊本県民テレビ(KKT) 1982年(昭和57年)4月
鹿児島県 鹿児島讀賣テレビ(KYT) 1994年(平成6年)4月
大分県 テレビ大分(TOS) 土曜 16:00〜16:30 6日遅れ 1970年(昭和45年)4月[20]
宮崎県 テレビ宮崎(UMK) 火曜 10:45〜11:15 9日遅れ 2008年(平成20年)〜[21]
2005年(平成17年)4月10日から、テレビジャパンNHKワールドTVアメリカ地域向け放送)でも約3ヶ月遅れで放送している(当初7ヶ月遅れだったが、5代目圓楽不在時に歌丸以外が司会を担当した回を飛ばしたため遅れが短縮)。放送時間は本放送が現地時間の日曜日21:15〜21:40(東部)、18:15〜18:40(西海岸)、16:15〜16:40(ハワイ、但し米本土の夏時間期間中は15:15開始に変更)、再放送が同じ週の土曜日(ハワイのみ時差の都合上金曜日深夜)。番組中のCMをカットして放送。

年月度は放映打ち切り時期である。

放送対象地域 放送局 系列 放送時間 遅れ 開始時期
岩手県 IBC岩手放送 TBS系列 1969年(昭和44年)12月のテレビ岩手開局まで
宮城県 東北放送 TBS系列 1970年10月のミヤギテレビ開局まで
福島県 福島テレビ 現在はフジテレビ系列 1971年(昭和46年)10月のTBS系列加盟(1983年(昭和58年)3月脱退・FNN加盟)・
福島中央テレビとのNNS・FNSネット局交換まで
新潟県 新潟放送 TBS系列 土曜13:00〜 6日遅れ 1981年(昭和56年)3月28日まで[22]
長野県 信越放送 TBS系列 同時ネット→土曜12:00〜12:40 6日遅れ 1991年(平成3年)4月のテレビ信州のテレビ朝日系列・日本テレビ系列(但しNNSは非加盟)
クロスネットから日本テレビ系列へのネット一本化=NNS加盟まで
静岡県 静岡放送 TBS系列 1979年(昭和54年)3月まで
静岡けんみんテレビ 現在はテレビ朝日系列 1979年(昭和54年)4月6月、静岡第一テレビ開局まで
石川県 北陸放送 TBS系列 不明
石川テレビ放送 フジテレビ系列 日曜15:00〜15:40→土曜16:00〜16:40 1990年(平成2年)4月のテレビ金沢開局まで遅れネット実施
愛知県 名古屋テレビ放送 現在はテレビ朝日系列 1973年(昭和48年)4月の中京テレビのNNSフルネット局変更まで
鳥取県・島根県 山陰放送 TBS系列 日曜15:00〜15:40→土曜16:00〜16:40 1972年(昭和47年)9月まで[23]
福岡県 RKB毎日放送 TBS系列 1969年(昭和44年)4月の福岡放送開局まで。[24]
長崎県 長崎放送 TBS系列 1966年(昭和41年)4月のテレビ長崎開局まで
テレビ長崎※1 フジテレビ系列 1990年(平成2年)9月まで。[25]
大分県 大分放送 TBS系列 1970年(昭和45年)4月のテレビ大分開局まで
熊本県 熊本放送 1982年(昭和57年)4月の熊本県民テレビ開局まで
宮崎県 宮崎放送 TBS系列 1970年(昭和45年)4月のテレビ宮崎開局まで
テレビ宮崎※3 フジテレビ系列 1997年(平成9年)3月まで。[26]
鹿児島県 南日本放送 TBS系列 1969年(昭和44年)4月の鹿児島テレビ放送開局まで
鹿児島テレビ放送※1 フジテレビ系列 1994年(平成6年)4月の鹿児島読売テレビ開局まで
沖縄県 沖縄テレビ放送 フジテレビ系列 日曜13:30〜14:10→13:00〜13:40→火曜24:30〜25:10 7日遅れ→9日遅れ 1989年(平成元年)5月まで
琉球放送 TBS系列 月曜15:55〜16:25 2003年(平成15年)4月から1年間のみ
※1…NNN/NNSにも加盟していた(鹿児島テレビは1982年9月までANNにも加盟)。
※2…NNN/NNSとANNにも加盟していた。
※3…NNN・ANNにも加盟。

大笑点などでは、特別企画として以下のスペシャル大喜利が放送される。

  • 笑点メンバーによるレギュラー大喜利だが、3問目はその年の干支の動物の格好をして登場する。
  • 女性芸能人6人(ニューハーフも可。現在はグラビアアイドルが多い)が笑点メンバーとペアを組んで大喜利に挑戦。1971年(昭和46年)にはすでに開催されている。
  • このコーナーには泉ピン子(もともと牧伸二に師事して歌謡漫談家として活動したキャリアがあり、番組黎明期の演芸コーナーに2度出演したこともある)と山田花子が常連で出演しているほか、2004年と2005年には飯島愛も出演した。他に、日本テレビアナウンサー時代は「アナウンサー大喜利」に出演しなかった永井美奈子も出演した。
  • 好楽&ピン子、楽太郎&花子のペアは固定されているが、そのほかのメンバーはほぼ毎年相手が変わっている。
  • ペアを組む相手は、メンバーのキャラクターに合わせて決められることもある(例として、2009年のスザンヌ&木久扇、はるな愛&たい平)。
  • 1979年(昭和54年)に初開催。8月にまず女性アナウンサーの大喜利が行われ、10月に男性アナウンサーの大喜利が放送された。特に男性アナウンサー大喜利に出演した小林完吾は迷答・珍答を連発し、これがきっかけでバラエティ番組にも多く出演するようになった。なお、司会はどちらも三波が担当した。
  • その後しばらくは行われなかったが、1984年(昭和59年)の正月特番でNNNの系列局のアナウンサーも参加してのアナウンサー大喜利が行われて好評だったため(この時の司会は5代目圓楽が担当)、以降準レギュラーの企画となった。
  • 1996年4月〜1997年までは、月1回ごとに開催されており、毎回最も座布団が多かったアナウンサーには、マイクの人形が付いたペンダントを獲得できる。このペンダントを10個獲得すると、豪華賞品を獲得でき、鈴木君枝(大杉君枝)が10個獲得を達成した。
  • 日本テレビのアナウンサー6人が大喜利に挑戦する。おおむね、男女3人ずつの回、女性ばかりの回が交互に行われているが、後者の場合も、男性である藤井恒久が「こん平」的キャラクターとしてレギュラー出演している。また、楠田枝里子徳光和夫松永二三男福澤朗らも日テレアナウンス部在籍時に出演している。
  • 先述1984年の系列局アナ出演以外では外部(例:セント・フォース勢などフリーアナ、日テレOB、OGも含む)の出演はない。
  • 正月特番(年によっては年明け最初の通常放送の演芸コーナー枠)だけでなく、現在は8月中旬にも行われる。
  • 通常放送時は小遊三と楽太郎が司会者で、他の大喜利メンバー2人が座布団運びを担当(以前は5代目圓楽単独もしくは5代目圓楽と歌丸がふたりで司会を務めてたり、好楽が単独で司会を行ったこともある。座布団運びは、以前は歌丸・こん平・木久蔵(当時)・好楽が担当することが多かったが、最近は「ブラック団の手下ども」である、独り者浮気者が担当することが多い)する。小遊三はコーナーの最後に「また暑く(寒く)なったころお会いしましょう!」と挨拶する。
  • また、この縁もあり、後の副音声による解説放送も日テレアナウンサーが行なっている。
豪華賞品
  • 特別に全員(荻原弘子今井伊佐男深堀恵美子小林完吾木村優子徳光和夫)が、「羽子板」を獲得。この時の座布団運びの歌丸も欲しがっていたが、司会の5代目圓楽から「をやるよ」と言われていた。(1984年1月1日放送)
  • 鈴木君枝が「世界一周旅行」を獲得したが、地球儀を一回転しただけだった。(1997年放送)
  • 藤井恒久が「5代目圓楽の色紙」を獲得。(2003年8月17日放送)
  • 井田由美が「金色の座布団」を獲得。(2004年1月4日放送)
  • 大杉君枝が「超有名デザイナーが作った水着」を獲得。(2005年8月14日放送)
  • 葉山エレーヌが「歌丸抱き枕」を獲得。司会の楽太郎は「安眠どころか永眠できる枕」と言っていた。(2007年8月12日放送)
  • 女性チームが「歌丸抱き枕・夏の装いバージョン」を獲得。またも、司会の楽太郎は「安眠どころか永眠できる枕」と言っていた。(2008年8月17日放送)
  • 松本志のぶが「紅白座布団」を獲得。(2009年1月4日放送)
  • 女性チームが「歌丸風鈴」を獲得。司会の楽太郎は「骨身に沁みる涼しさ(寒さ)」と言っていた。(2009年8月2日放送)
  • 杉上佐智枝が「(2010年1月1日のスペシャルで余った)紅白座布団」を獲得。(2010年1月3日放送)
  • 1988年(昭和63年)に初参加。毎年8月『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』内で17時台前半あたりから生放送される。かつては特別ルールとして、座布団1枚につき、1万円を募金していたが、この時に限っては募金をさせるためにつまらない答えでも座布団がどんどん与えられる一方、座布団を剥奪される場面がなかったため、当然ながらこの放送を見ていた一部の視聴者から、このルールに対しての抗議を受けることとなった。また、1990年(平成2年)の放送の際にはメンバーが照れ隠しで募金を嫌がる演技をしたところ、「チャリティー番組なのにけしからん」とやはり抗議を受けることとなり、それ以降は笑点メンバー全員が自ら募金をする様になり、最近では通常の「笑点」の放送と同様に、演芸と大喜利の2部構成となり、大喜利では座布団が一番多かったメンバーに賞品が送られる。また、座布団運びはメインパーソナリティーが行う場合もある。
    • 因みに2007年の放送では、演芸にタカアンドトシが登場し、大喜利での豪華商品は、この年の24時間テレビのメインパーソナリティーで、大喜利のコーナーで特別に座布団運びを務めたタッキー&翼滝沢秀明とのツーショット写真が撮れるというものだった。
    • 2008年の放送では、演芸にチュートリアルが登場。メンバーの挨拶では、楽太郎が「次期司会次期圓楽の楽太郎です」と、番組内では初めて6代目圓楽襲名に触れている(歌丸による悪太郎発言もこのときが最初)。この年から大喜利では賞品は無くなった。3問目の最後で、たい平が「に会わせてくれると武道館に連れてってくれるって言ったのに、いるのは笑点メンバーのジジイばっかり」と言い放ったため、全部没収されてそのまま大喜利終了となった。
    • 2009年の放送では、演芸にネプチューンが登場。大喜利で、山田隆夫の家族が会場に見に来ている所を好楽が発見し、家族の名前を言っている。3問目でたい平が歌舞伎役者の物真似をしながら上手へ引き上げた後、山田がたい平の席に座るシーンが34.1%の瞬間最高視聴率を記録した。
  • 最初から2年間は日本武道館で生放送を行い(2分間のCMの間にセットを組んで中継を行ったというエピソードがある)、日産銀座ギャラリー、JCB旧本社(お茶の水スクエア)などからの生中継であったが、2003年からは汐留の日本テレビ本社·放送センター(日本テレビタワー)からの生中継となった。
  • 一時期は挨拶→CM→大喜利1本という短さだったが2003年(平成15年)以降、演芸と大喜利3本という通常放送と同じ編成になった。放送時間も17:20〜18:00の間で時間不定だったものの、現在は17:30〜18:00というレギュラー放送とほぼ同じ時間帯で行なっている。
  • 遅れネット局であるテレビ大分とテレビ宮崎、ならびに24時間テレビ参加局で唯一の日本テレビ系列外である沖縄テレビでは放送されない(『FNNスーパーニュースWEEKEND』を放送)。このため、新春スペシャル同様放送回数には含まれない。
  • なお、『24時間テレビ』が始まる前は毎年年末に通常放送の中でチャリティー大喜利が行われていた。
  • 笑点メンバーと上方落語界を代表する6人(2006年は5人)と大喜利で対戦する。
  • 笑点メンバーは全員黒紋付袴で登場していたが東西のカラーをはっきりさせるため、2003年から笑点メンバーは笑点の色紋付で登場している。上方メンバーも2006年まで全員黒の紋付袴で登場していたが、2007年から普段の高座での着物で登場した。
  • 2005年までは5代目圓楽が司会を担当していたが2006年から2008年は歌丸と桂三枝が2人で、2009年からは歌丸単独で司会を務めている。
  • 1999年(平成11年)10月31日の放送では昇太を司会に、若手大喜利に出場していたメンバーが上方落語協会に所属する若手落語家と大喜利で対戦した。
  • 勝利した西軍には来年の笑点カレンダーが与えられた。負けた東軍にもカレンダーが与えられたが、そのカレンダーは今年の笑点カレンダーだった。
放送日 司会 出演メンバー 勝利チーム 敗北チーム
西軍 東軍
1999年10月31日 昇太 米吉[30]こごろうむ雀 たい平・北陽・柳八 西軍 東軍
  • メンバーの師匠が参加し、弟子達と大喜利対決をする。第1回の師弟大喜利は1967年(昭和42年)の正月特番である。談志が司会だった時代は年末にも行われていた。
  • 初期に出演したのは
  • 後に出演したのは
  • その後メンバーの高齢化にともなって、師匠サイドで登場するべき人物の大多数が故人となってしまったことや、メンバーである好楽と楽太郎の師匠が、当時司会を務めていた5代目圓楽だったことなどから調整が難しくなってしまったため、1981年の正月特番に放送された後は行われなくなったが、これとは別に、レギュラーメンバーが自分の弟子・弟弟子達と大喜利対決をする師弟大喜利も何回か行われている。
ほか多数
豪華賞品
  • 亀蔵、たい平、柳八、昇太が「大喜利の座布団運びを担当する権利」を獲得。(1998年7月5日~1998年7月26日放送)
  • あさ市が「美女と肌と肌の触れ合える権利」を獲得したが、女性観客と触れ合うだけだった。(1998年9月6日放送)
  • 柳八が「めくるめく官能の世界へ行ける権利」を獲得。後楽園ゆうえんち(現:東京ドームシティアトラクションズ)のアトラクション「リニアゲイル」に乗った(昇太も一緒に乗った)。(1998年10月25日放送)
  • 北陽が「笑点の大トリをとれる権利」を獲得したが、放送終了後に大トリをとるだけだった。(1998年12月20日放送)
  • 柳八が吉野屋のタダ券5枚を獲得。(1999年5月2日放送)
  • 北陽がマグロのかぶりものを獲得。(1999年7月18日放送)
  • きく姫が厚底雪駄を獲得。(2000年2月20日放送)
  • きくおが海女セット獲得。(2000年6月25日放送)
  • きくおが「マツタケがもらえる」ということで、松(マツ)と竹(タケ)を獲得。(2000年10月29日放送)
  • 笑志がバレンタインのチョコレートを獲得したが、中身は小さいチョコひとつだけだった。(2001年2月11日放送)
  • きく姫が赤を獲得。(2001年6月24日放送)
  • たい平が「こん平師匠の代わりに大喜利に出演できる権利」を獲得。本家大喜利の新メンバーとなった。(2004年12月26日放送)
  • 玉の輔が箱根駅伝応援権(応援旗と切符)を獲得。(2006年1月2日 おはよう笑点での放送)
  • 愛楽が兄弟子楽太郎が率いる「ブラック団」の4人目のメンバー権を獲得。(2007年1月2日 おはよう笑点での放送)
  • 1970年(昭和45年)8月24日から開始され、子役出身の若手俳優など、若年の芸能人を集めた大喜利が定期的に行われていた。ここで座布団10枚を集めたご褒美として「レコードデビュー」を獲得したのが、一世を風靡したずうとるび山田隆夫新井康弘江藤博利今村良樹)である。ずうとるびメンバーは全員がちびっこ大喜利出演者で、山田が座布団を10枚獲得したことでグループを結成。1974年(昭和49年)2月17日にリーダー山田の作詞作曲によるシングル『透明人間』でデビューし、1975年(昭和50年)には紅白歌合戦にも出演を果たしている。
  • 往年の名歌手を集めての大喜利。1983年(昭和58年)の正月特番で実施。この時は司会者の三波伸介が急逝したことにより、林家こん平が代理で司会を務めている。この時の参加メンバーは、高英男、大津美子田端義夫近江俊郎松尾和子林伊佐緒
  • 2005年の正月スペシャルではTOKIOと対戦した。『元気なお年寄り』、『ト・キ・オの三文字をそれぞれ頭につけた言葉』、『自慢合戦』の3問で対戦した。5対5となるため、たい平は座布団運びにまわった。
    • 自己紹介では笑点メンバーを5代目圓楽が「老人チーム」と紹介し、笑点メンバーが全員座布団からずり落ちた。
    • 自己紹介でリーダーの城島茂が「山田隆夫さんの座布団運びの座を狙う」と発言、それを受けた山口達也が「山田さんを首にしろ」と答え、「山田の悪口を言ったのにもかかわらず逆に座布団を貰ってしまう」という回目の例を作った(1回目は林家たい平が「KY=クビだ、山田」と答えた)。
  • TOKIOは『大笑点』でメインパーソナリティを務めた。またメンバーの国分太一は2006年5月14日の40周年記念特番に出演し、師弟大喜利で歌丸と共に司会を務めた。
  • 笑点メンバーとTOKIOの対戦は2006年以降舞台を「大笑点」の番組上に変えて、2008年までで4度開催されている。
  • プロボクシングの元世界チャンピオン5人が出演。司会は、座布団10枚で「花より団子」の掛け軸(輪島功一揮毫)を獲得した昇太。
大喜利ゲスト大会
  • スペシャル大喜利の第1弾。1967年(昭和42年)8月27日に行われた。前述の通りこの時には後に2代目の司会者となる前田も大喜利メンバーとして出演していた。司会は談志。
スター大喜利
春の大喜利大会
大福大喜利
親子大喜利
  • 2010年1月1日の正月特番で実施。メンバーが自身の息子と共に出演。「ちびっこ大喜利」が形を変えて復活したとも言える。参加メンバーは、はなわ北斗晶ボビー・オロゴン西村知美(彼女のみ娘)、たい平の各親子。司会は昇太。過去にも行われたことがあり、当時のメンバーの子女とともに出演した。この際、木久蔵(当時)の長女(40周年記念本では「さっこちゃん」と呼ばれていた)が圓楽の顔を見て怖くなって泣き出した。

詳細は「笑点Jr.」を参照

CS放送日テレプラス(当初は日テレプラス&サイエンス)で兄弟番組として若手中心の『笑点Jr.』を放送。元々はBS放送BS日テレで「BS笑点」として2003年10月12日から2007年2月17日まで放送。CSに移転した2007年4月から現タイトルになる。

現在大喜利メンバーの春風亭昇太、林家たい平はこの番組の出身。現司会者の桂歌丸はナビゲーターとして出演し、笑点の現アシスタントである三遊亭愛楽もこの番組に出演している。

詳細は「大笑点」を参照

2006年から2008年までの1月1日に正月特番として、『大笑点』を放送した。

2009年は普段関東広域圏のみでの放送となっている『ラジかるッ』の拡大版が放送されるため、16:00〜18:00に『笑点お正月スペシャル』の2時間特番を放送。

詳細は「おはよう笑点」を参照

1998年から2007年までの1月2日に箱根駅伝中継が始まる前の時間帯に『おはよう笑点』を放送した。

5代目三遊亭圓楽の逝去に伴う追悼特番。2009年11月1日16:55~17:25に日本テレビ読売テレビで放送。後に2010年1月3日16:30~17:00にBS日テレで放送された。桂歌丸を司会に落語「弥次郎」(2000年1月9日放送分の再放送)、大喜利(1988年3月6日放送分・2001年2月11日放送分・1988年4月3日放送分(若竹での収録))の様子が流れた。こちらは、ハイビジョン放送。また、その翌週の2009年11月8日には急遽予定を変更して「笑点メンバーお別れ会」放送した。レギュラー番組のエンディングには、追悼DVD発売のお知らせもあります。

  • 構成:新倉イワオ、遠藤佳三、鈴木重夫、横山誠一、城啓介、内海譲司、三木睦郎、山西伸彦、佐藤かんじ
  • 音楽:中村八大
  • アニメ:マルチボックス、竹内大三
  • 題字:橘左近、橘右近
  • TM:古井戸博
  • TD:牛山敏彦(NiTRo
  • カメラ:田代義昭
  • 照明:蜂谷道雄、下平好実
  • SW:宮崎和久、安藤康一
  • 音声:酒井孝
  • 調整:矢田部昭
  • PA:木本文子
  • 美術制作・デザイン:磯村英俊
  • 大道具:赤木直樹、峰崎俊輔
  • 装飾:丸山善之
  • 衣裳:佐々木皖子
  • 美粧:外山奈津子
  • 編集:青木健
  • 整音:駒路健一
  • 音効:吉田茂
  • TK:中村ひろ子
  • AD:山口裕之
  • AP:菅原由芳
  • ディレクター:鬼頭直孝、上田崇博、大畑仁、高木裕司
  • プロデューサー:飯田達哉(以前はディレクター)
  • チーフプロデューサー:鈴木雅人
  • 制作協力:ユニオン映画
過去のスタッフ
  • 構成:新野隆司
  • アニメ:エレホン企画
  • 人形デザイン:辻下浩二
  • 企画:小暮美雄
  • 歴代チーフプロデューサー(以前は制作):北村光雄、吉田勲明、吉岡正敏佐野讓顯吉田真、馬場寛、梅原幹
  • 歴代プロデューサー:小里光、小暮美雄、本多益幸、中島銀兵、吉田勲明、尼崎昇、中村元気、鈴木雅人、中西健/中野留理子、加藤晋也
  • 制作協力:現代センター

※また地方収録の時はその地域の系列局の技術スタッフ、ディレクター、プロデューサーが携わることがある。なおかつては地方収録時は日本テレビとその地域の系列局が共同で製作・著作していたが、現在はその地域の系列局は制作協力扱いとなっている。

後楽園ホール前の「笑点みやげ」売店
  • 柳家きん平の自殺という悲劇があったからでもあるが、『笑点』スタートにおいて(「きん」つながりで)三遊亭金遊(後の4代目三遊亭小圓遊)が加入する。これは立川談志がその実力を柳亭小痴楽(後の春風亭梅橋)と並び評価し、番組の顔として据えようと考えていたからである。転じて、現在でも影響のある5代目圓楽・歌丸・こん平によって2000回を超える長寿番組になるとは思いもよらなかったのである。
  • 番組の特徴である出演者のカラフルな色紋付は、カラー放送が開始された当時カメラのカラー調整用に製作された原色の紋付がそのまま定着したものである[31]
  • 司会に前田武彦が初登場した日の新聞には、前田が日々感じたことをありのまま喋る「前武歳時記」。第2部「演芸」で、一流芸人が芸を披露(この日は漫才・てんやわんや)。第3部「前武なんでも入門」で話題の人物をゲストに迎え、その技術のツボを聞く(この日はスパイ入門)。第4部が「大喜利ナンバー・ワン」、歌奴(現:3代目圓歌)・金馬(4代目)の2チームが対抗と掲載されている。
  • 1980年(昭和55年)の笑点ハワイ公演は現地でこん平の師匠・林家三平の訃報が届いた中での収録となった(こん平は訃報を聞いて他の大喜利メンバーやスタッフと共に一晩中泣き明かしたという。そして、翌日最後の収録を終えると他のメンバーより一足早く帰国している)が、その初回放送日である10月5日未明には当時の大喜利メンバーであった小圓遊が急逝してしまい二重の不幸に見舞われてしまった(歌丸はハワイ公演を終えて帰国した小圓遊が空港の花壇に力なく座り込んでしまったのを見て「様子がおかしい」と感じたと語っている)。
  • 歌丸の地元・横浜にある放送ライブラリーでは1980年10月5日放送分(上記)と2001年10月28日放送分の閲覧が可能となっている。
  • 1987年(昭和62年)6月28日15時前の『NNNニューススポット』では、ハプニングでタイトルバックに『笑点のテーマ』がBGMとして流れてしまったことがある。この日の笑点は特番編成の都合でこのニュースの後放送されることになっていたが、その際、主調整設備(マスター)に於いて番組テロップ表示の際の音声用のカートリッジ・テープ(CT)の順番を入れ間違えた為かマスターの制御プログラムの入力ミスかそういう原因によって起きたものと思われる。
  • 1993年(平成5年)にスペシャル番組『テレビの裏側大公開』で笑点メンバーがオリジナルの歌詞を付けて歌うという企画が放送された。またフジテレビの『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜』でもその事が取り上げられた際、証拠VTRとして麹町日本テレビ本社屋前(当時)で歌唱する映像が放映されたことがある(歌っているのは出演者ではなく別の人である)。2000年頃の新春スペシャルでも実はテーマ曲に歌詞があるとして、合唱団がいろいろな場所で歌うという企画があった。
  • 2006年9月17日放送のニッポン放送『笑福亭鶴瓶 日曜日のそれ』にゲスト出演した好楽によると「三波伸介さん急死後、愛川欽也さんには「大勢の落語家さんを相手にとても司会なんか出来ない」と断られ中村メイコさんや山城新伍さんにも司会を打診していたが断られた」という。そうした経緯もあって5代目圓楽に白羽の矢が立ったという。
  • 16:9フルサイズのハイビジョン放送はほかの番組より大幅に遅れて開始された。
    • ユニオン映画が制作協力しているからとも言われているが、後楽園ホール内に配置されているテレビカメラなど放送機材はすでにハイビジョンに対応している(『欽ちゃんの全日本仮装大賞』(2008年以降)やボクシング・プロレス中継ではすでに16:9フルサイズでハイビジョン放送化されているため)。だが、放送素材そのものが16:9フルサイズのハイビジョン画質で収録されていても番組送出時に画質変換なしで4:3ノーマルサイズにして放送している。地方での公開録画でもハイビジョンカメラで収録されているが、やはり16:9フルサイズのハイビジョン画質で収録しても番組送出時に画質変換なしで4:3ノーマルサイズにして放送している。したがって番組の放送素材自体そのものは16:9フルサイズのハイビジョン制作となっており、4:3SD画質(標準画質)をアップコンバートしたものではない(サイドカット)。なお、地上デジタル放送開始当初は後楽園ホール内に配置されているテレビカメラなどの放送機材がまだSD仕様だったためアップコンバートでの放送だった。
    • 24時間テレビのチャリティー大喜利や『大笑点』(一部VTRを除く)ではハイビジョン放送。
    • 地方収録の時は各系列局が所有する、スポーツ中継などに対応した中継車を用いる事が多い(ハイビジョン中継車を所有する局では原則ハイビジョン収録となるが、未だに導入していない局もある)。また、ローカル独自の番組宣伝ではサイドカットせず16:9フルサイズで放送されることがある。
    • 2009年1月1日放送の『笑点お正月スペシャル』では通常放送のオープニングアニメーションのみ16:9フルサイズのハイビジョン画質で放送され、他はサイドカット部分にオープニングアニメーションのイラストが付けられている。
    • ハイビジョン製作はほかの番組よりかなり遅れていたが2010年1月1日のスペシャルで初めて全編ハイビジョン放送(アナログではレターボックス)となり同年の1月3日からレギュラー放送もハイビジョン放送となった。
  • 『笑点』の番組収録が行われる土曜日に限り、後楽園ホールのある青いビルの前に「笑点」の提灯が目印の「笑点みやげ」の売店が設営されている。売店では笑点メンバーの人形焼(840円)や「笑点飴」なる金太郎飴(367円)などを販売している。
  • ANAの国際線では、個人用テレビで過去放送分の笑点を月替わりで放映している。
  • 大喜利については綿密な打ち合わせがされている。それが批判の対象になることもあるがその結果、進行はスムーズであり絶妙なアドリブ、ハプニングも起きて笑いにつながっており広く認められる事になった。またメンバー内での罵倒合戦が非難される事もあるが、「今は暗いニュースが多く、そういうのを取り上げるのはよそう(明るいニュースがもっとあったら、それをやりたいですよ)」(歌丸談)という了解から現状やむなく行われているという。
  • こん平休養後、放送では5代目圓楽以外の笑点メンバーが交代で行っていたのを境に「1、2、3、チャラーン!」はめったに行われなくなったが(アナウンサー大喜利時に藤井恒久アナが行う程度)収録の前説では観客をほぐすために行われている。
  • 2007年からは、SUNTORY×笑点・飲んで笑おうキャンペーンが開催。
  • 放送開始時、出演者の平均年齢は28歳(30代は2人だけで、5代目圓楽の33歳が最年長)とかなりの若手落語家の番組であったが放送開始から43年を経た2009年5月現在は59歳(最年少のたい平でも44歳で、60歳以上の出演者が4人いる)とかなりのベテラン落語家の番組となっている。
  • 大喜利メンバー加入時の年齢が最も若かったのはこん平で23歳。逆に最も年長だったのは昇太で46歳である。
  • 2008年3月9日の放送では4代目司会の5代目圓楽が番組内で円楽一門会の口上披露を行った関係で久々に番組に登場、結果的にはこれが5代目圓楽の最後の笑点出演となった。
  • 2009年10月4日放送の第2184回から音声多重放送を利用した視覚障害者向けの解説放送を開始(一部解説放送を行なわない場合もある)。
    • アナログ放送とデジタル・ワンセグでは音声帯が2chなので主音声が従来の放送、副音声で解説放送。いずれもモノラル化された。
    • デジタル・12セグでは音声帯が最大5.1chなので主音声はこれまで通りステレオによる従来の放送、副音声もステレオで解説放送を実施。
    • 副音声では、主音声で「ご覧のスポンサーの提供でお送りします」と省略されているスポンサー名を全て読み上げている。
    • 解説は、アナウンサー大喜利登場経験者を中心とした日本テレビのアナウンサーが持ち回りで担当している。
    • テレビの完全デジタル化を睨んだ措置でもあるが、画角は2009年最終週の放送まで4:3のままであった。機能完全装備の12セグ対応デジタルテレビで視聴する場合は、特別な装置無しで従前通りの臨場感(ステレオ放送)を解説付きで味わうことができる。
  1. ^ a b 2009年(平成21年)11月8日放送の5代目圓楽追悼の回では放送日が収録直後だったこともあり、リアルタイム字幕放送を実施。解説放送は行わなかった。
  2. ^レディス4』にゲストで出演した桂歌丸から語られた(2007年10月29日放送分にて)
  3. ^ 曜日は定まっておらず火曜~木曜のいずれか1日。週によっては2日連続ということもある。
  4. ^ 以前は、新春特番や高校サッカーのハイライトなどを放送していたため、新年最初の放送は1月第2週目からだった。
  5. ^ 2002年(平成14年)10月28日フジテレビで放送されたトリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜
  6. ^ 5代目圓楽は、山田の休んだ1週目の大喜利の挨拶時に「子作りに励むため数週間休みます」と言っていた。
  7. ^ 歌丸の著書「極上歌丸ばなし」に記述あり。
  8. ^ 1997年の香港公演の特番冒頭に出演者から明かされ、その際に「サダム・フセイン、あなたのおかげでパリ収録が中止になりました」という皮肉めいた恨み節のテロップが表示されていた
  9. ^ 福井放送、テレビ大分、テレビ宮崎はクロスネット局である。
  10. ^ a b c 一時期日本テレビ系列・テレビ朝日系列クロスネット局でもあったが引き続き放送。
  11. ^ 東日本放送が開局するまでは、日本テレビ系列とテレビ朝日系列のクロスネット。本来の時間に朝日新聞テレビ夕刊をネットしていたため、日曜12:15~の遅れネットだった(但し未放送の期間あり)。
  12. ^ それまで、当番組を放送していた新潟放送は、6日遅れの放送だった為、テレビ新潟は、開局前のサービス放送開始後のこの日から同時ネットし続けている。
  13. ^ 1989年4月からANNにも加盟したが、日本テレビ系優先のクロスネット局のため放送を継続。かつては日本テレビ系列でありながら「ANNニュース&スポーツ」や「530ステーション」などのテレビ朝日の日曜夕方のニュースを1991年3月まで(1989年3月までは番組販売扱い)放送していたために6日後の土曜夕方に時差ネットしていたが、1996年4月以降は日本テレビとの同時ネットに移行している。
  14. ^ ANN主体からNNNマストバイ局変更による。
  15. ^ 鳥取県と島根県の相互乗り入れ前は未放送。この時間帯にフジテレビ系列やTBS系列の番組を放送していた(相互乗り入れ直前はTBS『YKKアワー キックボクシング中継』)。
  16. ^ 17:00から日曜劇場の遅れネットのため(現在も別時間で継続)、当初は土曜正午に時差ネットしていたが、現在は日本テレビとの同時ネットに移行している(移行時期は福井放送と同じ)。
  17. ^ 社史「四国放送の50年」による。
  18. ^ 1983年(昭和58年)4月に西日本放送が岡山県に乗り入れるまでは岡山県では放送されていなかった(ただし、多くの地域でRNCもしくはNKT・y

    2010年02月09日現在